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白河市 小峰城跡

公開日:2025年05月24日
更新日:2025年05月24日
ご家庭向け

福島県白河市 小峰城跡

この仕事をしているといろいろな場所へ足を運ぶ機会があります。エアコンクリーニング、ハウスクリーニングをご依頼いただくお客様のお住まいは様々です。今回は白河市でのご依頼でしたので、仕事終わりに小峰城跡へ行ってきました。

小峰城とは

小峰城とは福島県白河市郭内にあるお城の建っていた場所です。1993年に重要文化財である「白河城御櫓絵図」や発掘調査の成果をもとに、木造で復元されたそうです。初代白河藩主となった丹羽長重(にわながしげ)を皮切りに、7家21代に渡って居城とされてきたようです。

小峰城の歴史

小峰城の歴史は白河市のHPによると、

 

小峰城の成立は、「白河風土記」によれば、興国~正平年間(1340~1369)の頃、白河庄を治めていた結城宗広(ゆうきむねひろ)の嫡男親朝(ちかとも)(別家小峰家を興す)が築いたことに始まるとされる。

結城氏の本拠は、小峰城より東へ約3キロメートルの所に位置する白川城であったが、結城氏一族の内紛のあった永正年間(1504~1520)以降には、本拠が小峰城に移ったと推定されている。

天正18年(1590)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の小田原攻めに参陣しなかった結城氏は、秀吉の奥羽仕置で改易となり、以後37年間にわたり小峰城は会津の支城となる。蒲生氏郷(がもううじさと)、上杉景勝(うえすぎかげかつ)、蒲生秀行(がもうひでゆき)と領主が変わるなか、白河には城代が置かれた。蒲生秀行時代と考えられる慶長年間の城絵図を見ると、城郭や城下の整備も行われ、梯郭式平山城としての縄張りや城下の原型はできあがっていた。

寛永4年(1627)に初代白河藩主となった丹羽長重(にわながしげ)は、城郭の大改修を行った。およそ4年の歳月をかけて寛永9年(1632)に完成した姿は、本丸・二之丸を総石垣で固め、三之丸においても門周辺部には石垣積みとした梯郭式の平山城で、随所に石垣を多用した特徴がある。

城郭の全体形は、やや不整な五角形である。現在、外堀より内側の約540,000平方メートルが埋蔵文化財包蔵地、本丸・二之丸を中心とした約120,000平方メートルが史跡となっている。

丹羽家以降は、榊原、本多、松平(奥平)、松平(結城)、松平(久松)、阿部家など徳川親藩・譜代大名(7家21代)の居城となり、「奥州の抑え」としての役割を担ったが、慶応3年(1867)の阿部家の棚倉移封後は幕領となり、二本松藩(丹羽家)が管理した。そして、慶応4年(1868)の戊辰戦争白河口の戦いで焼失落城した。

明治以降、城郭はその多くが民間へ払い下げられた。本丸を中心とした範囲は、陸軍省の所管となり、のち明治26年(1893)に白河町に払い下げられた。

二之丸・三之丸の城郭遺構については、その多くが埋められ、農地や官公庁舎、住宅地として利用された。三之丸には、明治20年(1887)に東北本線が敷設され駅が設置されるなど、近代白河のまちへと変化を遂げる。

昭和50年代後半から、本丸・二之丸を中心に都市公園としての整備が開始され、平成3年(1991)には三重櫓、平成6年(1994)には前御門が、発掘調査の結果や文化5年(1808)成立の「白河城御櫓絵図」を基に木造で復元整備され、往時の姿をしのばせている。

参考:白河市公式HP(https://www.city.shirakawa.fukushima.jp/)

 

となっており、長い歴史のあるお城です。敷地内には二ノ丸茶屋というお店もあって、小峰城を眺めながら限定白河だるまバーガーや、ロースかつ丼等のお食事も楽しめます。

本題のエアコンクリーニングもしっかりとキレイに!

観光スポット紹介になってしまいましたが、お客様のエアコンはしっかりばっちりキレイにさせていただきました!
クリーニング前、埃やカビが付着しています
クリーニング後、ばっちりキレイに!

これからの時期は冷房が大活躍すると思いますが、冷房を使用すると内部の熱交換器は結露して、皆さんが思う以上にびちゃびちゃになります。内部の湿度が高く保たれる環境ですと、温度の上昇とともにカビにとっては絶好の環境になります。

そうなる前にカビを一掃して気持ちのいい夏を迎えてくださいね♪

エアコンクリーニングはご予約が混み合いますのでご予約はお早めに♪エアコンクリーニングもそれ以外のハウスクリーニングも誠心誠意ご対応させていただきます!

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