【もうすぐ3年目に突入!】自分のことを紹介したいと思います。
おそうじ革命仙台泉八乙女店の店舗責任者について!
こんにちは!
おそうじ革命仙台泉八乙女店の市原です。
今年の6月で3年目に突入します。つまりあと2ヶ月ですね。
2ヶ月間の研修をしっかり受けたけど開業直後はやっぱり不安だらけで、
いろいろスムーズにいかず多くのお客様にご迷惑をおかけしたと思います。
そんな中でも僕のことを信頼して何度か頼んでくださるお客様も出てきて、
時にはお茶菓子をいただくこともあり、そんな皆様の優しさに励まされてここまで来れたのだと思います。
僕は器用ではないので話しながら作業するというのがどうも苦手で、
中には寡黙な印象をもってしまうお客様もいたかもしれませんね。
なので今回は、店舗責任者である僕のことを紹介していきたいと思います!
もしSNSやテレビや動画に飽きて暇つぶしするのものがなかったら読んでくださいね(笑)。
好きで飛び込んだ広告業界で自信を喪失した市原
ハウスクリーニング業を始める前は、
仙台市の街中でとある求人広告の制作を3年くらいしていました。
雇用はアルバイトだったけど広告に興味があった僕にとって、
未経験から制作に携われるというのが魅力的で、思い切って応募したんです。
「求人だけど面白い、印象に残るキャッチコピーを作ってやろう」っていきまいて入ったものの、
「日本語がおかしい」「文章が変」「作業が遅い!」ってさんざんダメ出しをくらい、
今まで入ってきたアルバイトの中で一番出来が悪いとまで言われる始末。
入って1ヶ月で自信を完全に失ってしまいました(笑)。
ちなみに僕が新人の頃からずっと指導してくれていたのが今の社長でした。
つまり社長との出会いもこの求人会社だったんです。
どうせアルバイトだからすぐに辞めても良かったけど…。
仕事が慣れない、つまらない、大変なら辞めてしまえばいい。
アルバイトなんだし、そこまでこだわるような立場でもない。
という考えが頭の片隅にあったけど、それでもすぐに辞めなかったのは、
やっぱり広告が好きだったのと、やっと入れたという気持ちが強かったんです。
というのも求人会社に入ったのは大学を卒業してから1年後の3月。つまり第二新卒の状態だったんですね。
大学在学中の就活も広告業界一本でずっと続けていたけど、見事に全落ち(笑)。
卒業間近で業界を変えて興味のなかった仕事に新卒で入ったけど結局半年で辞めてしまったんです。
そこから半年間ニートを続けてそろそろ就職しないとな~って親の冷たい視線を感じながら求人サイトを眺めていたら、
社長と出会うことになる求人会社を見つけたんです。
「未経験大歓迎」「広告をイチから教えてもらえます」みたいな文言に釣られ、すぐに履歴書を送りました。
そんな経緯があったからやっとの思いで、同期より少し遅れて広告業界に飛び込んだから、
「出来が悪い」くらいで辞めるのは嫌だったんです。
そんなことで辞めても広告業界にまた入れる保障はないし。
求人会社では3か月に一度、その時一番クオリティーの高い求人広告を作った人を表彰する社内コンペがありました。
どうせ辞めるなら、社内コンペに入賞してから辞めようと思い、
そこを目指して仕事に打ち込むようにしたのです。ダメ出しを毎日のように喰らいながら。
上司の助けもあってやっと取れた社内コンペ
求人広告を作るために必要な要素は読みやすい文章よりも、
読んでほしい層を設定するターゲッティングと、
どんなことを伝えたいのか設定するコンセプトが大事。
僕はどちらも抽象的というか論理的に具体的に設定するのが苦手で、
原稿を制作する前にここで何度もやり直しをもらっていました。
それでも日々の生産数もメンバーみんなで競争していたので、残業の毎日でしたね。
僕の原稿制作に夜遅くまで付き合ってくれた上司の皆さんには今でも感謝しています(笑)。
そんなこんなで何とか文脈とか文節とかわかってきた僕。
ターゲット設定やコンセプト設定も上司と相談するのが楽しくなっていき、
だんだんと社内コンペの入賞が視野に入るようになっていきました。
そして入ってから1年が経過した頃、
上司の助けもあって1つの社内コンペで1位と2位を獲ることができたんです!
そこから制作の面白さがようやくわかるようになった僕は、
辞めることなくそこから2年間続けてましたね(笑)。
どん底に落ちてからの社長との再会
求人会社を3年間続け、さてどうするか考えたときに転職が頭に浮かびました。
多分あのまま続けていれば契約社員、正社員とステップアップしていけたのかもしれませんが、
そうなったときに制作はできなくなって管理側に回るな~となり、
そしたら居座っても楽しくないな~と思って転職することにしたのです。
そして転職するときに考えたのがどんな仕事がしたいか。で、営業を選びました。
営業ならスキルや資格がなくてもやっていけること、
営業トークを身につければ商材が何であれどこでも活躍していけるんじゃないかと思ったのです。
3年間お世話になった求人会社を去り、営業会社に転職した僕。
結果として僕の考えは激アマでした(泣)。
営業会社ということは売り上げが全てでありメンバー全員がライバル。
先輩も後輩も上司も部下も関係なく、
完全に個人プレイでのし上がることを考えている人の集まり。
僕のように誰かに助けてもらってばかりの人間は肌が全く合わなかったのです。
「え~、求人に研修制度充実って書いてたんじゃん~」「手厚いサポートってあるじゃん~」って思ったけど、
現実はそんなに甘くないし、求人を書いていただけの僕は求人を出している企業の中身をまったく見られていなかったのだと痛感しました。
営業会社を早々に辞め、
やっぱりライティングの仕事に就きたい、
せっかく3年間続けたのだし、制作したい。
広告業界にまた飛び込みたいと思い、
アルバイトを探しつつ転職活動を再開した僕。
正直金もないからすぐにでも働きたかったけど、
どうにかやりくりしながら職を探していました。
でも広告会社って宮城にはほとんどないんですよね。
東京に行けばたくさんあるだろうけど、東京に行けるだけの金もないし、
金も底を尽きかけてさてどうしようかなって悩んでいるときに社長から連絡が入ったのです。
社長「今何してんの?」
僕「路頭に迷っています。助けてください」
全く興味がなかったハウスクリーニング業へ転職
求人会社で働きつつ、着々と独立の準備を進めていた当時の上司は、
見事に自分の思い通りのポジションに就き、
求人会社の協力会社という形で起業を果たしていました。
求人会社の仕事をしつつ、いろんな事業を立ち上げて会社を大きくしていきたい。
その事業の一つがハウスクリーニング業でした。
そんな重要な事業の一つの責任者にならないかと、再開してから1年後に打診されたのです。
ちなみに拾ってもらってからの1年間は業務委託としてライティングの仕事をもらいつつ、
学生の頃にアルバイトしていた職場に出戻りして二足のわらじで生活していました。
ハウスクリーニング業を打診されたときの正直な感想としては「興味ないな」でした。
全く視野に入ってないかったし、自分自身掃除が好きじゃないこともあり、なんで俺?という気持ちが強かったですね。
ハウスクリーニング業は高齢社会の今の日本では需要が伸びる一方であること、
資格がなくても始められ、一生モノのスキルが身につくこと、
そして広告には向いていない、という理由から半ば強制される形で始めることになったのです(笑)。
まあ、あとはちょっと弱みを握られていて断れない状況にあったというのもありますけどもね。
興味がなかった仕事でも、いざやってみると…
いや本当にしんどかった(笑)。
研修中は東京で2ヶ月間同期と一緒にいろんな物件回って掃除して、
たまに飲みに行ったり観光に行ったりして楽しかったです。
でもいざ開業してみるとエアコンの分解方法がわからない!
分解できても今度は組み立てられない!
他店の先輩オーナーを当日呼んで助けてもらったけど、
後日お客様からエアコンの不具合の連絡が入り…。と、
本当に今すぐにでも辞めたいという気持ちでいっぱいでした。
でも社長に拾ってもらったし、開業資金で500万円近く出資されているしで、
辞めるにやめられなかった僕は、半分開き直りのような気持ちで続けることにしました。
他店のオーナーさんにいろいろ教えてもらいながら少しずつ成長
エアコンに限らず水回りの掃除でも悩みが多かった僕。
同期のオーナーさんと電話して愚痴をこぼしたり、
先輩オーナーさんに良い薬剤がないか聞いたりしながら、
なんとか短時間で綺麗にできるように試行錯誤を繰り返す日々を送っていました。
いろいろコツを身につけ、役立つ情報を手に入れ、
少しずつお客様からも感謝の言葉をいただけるように。
初めの半年間は本当にしんどかったですけど、
今では一通りの作業にも慣れ、お客様の笑顔を見るために頑張れるようにもなりました!
最後に…
正直今でもハウスクリーニング業に興味を持てているわけではありません。
それでも続けられているのは僕を信頼して頼んでくださっている皆様のおかげです。
選んでもらえるのはどんな仕事をしていても嬉しいと思います。
これからもどんどん掃除の技術を身につけてレベルアップしていこうと思いますので、
こんな僕で良ければぜひご依頼ください!
掃除が苦手という方の気持ちも、僕なら共感できます(笑)。
掃除が苦手な僕でもできるようになったので、
コツさえつかめば誰でもできる、それが掃除だと思っています。