クエン酸の大冒険
更新日:2025年06月18日 その他コラム
【おはなし】
むかしむかし、オリンポス山のふもとに、透明な結晶のような姿をした小さな勇者がいた。名をクエンといい、柑橘の国レモニアに生まれた彼は、自分の力に少しも自信がなかった。
「どうせ僕なんか、ただの酸っぱいつぶつぶさ……」
だが、ある日、オリンポスの神々の間に不穏なうわさが流れた。地下深くの「サビの迷宮」から、巨大な鉄の怪物ルス・ティンが目を覚ましたというのだ。かつて封じられたその怪物は、触れるものをすべて錆びつかせ、やがて世界を腐らせるという。
神々は最強の勇者を探したが、怪物に触れるだけで剣も盾もボロボロになる。そんなとき、女神アテナがひと言つぶやいた。
「ルス・ティンに効くのは、鉄を溶かす力を持つ、ある“酸”のみ……」
そうして選ばれたのが、なんとクエンだったのだ。
「ぼ、僕が……!?そんな、大役……無理だよ!」
「クエン、おまえには、自分でも知らない力が眠っている」と、アテナは微笑んだ。
クエンは、恐れを抱きながらも、勇気をふりしぼって旅立った。最初の難関は「アルカリの谷」だった。そこには、巨大な石鹸の守護者バソ・ダンがいた。
「ここを通りたければ、泡の試練を乗り越えてみろ!」
クエンは、酸性のしぶきをまといながら、バソ・ダンの泡攻撃を巧みにかわした。時にすべり、時に転びながらも、クエンは一歩ずつ谷を登った。そして、バソ・ダンの心に触れる言葉を見つけた。
「君の泡、きれいだったよ。でも、僕も負けてられないんだ」
その純粋な言葉に、バソ・ダンは目を丸くした。
「……行け、小さな勇者よ。おまえには、道を進む理由がある」
こうして仲間を一人得たクエンは、次に「カルシウムの砂漠」を越えた。砂漠の主、カリ・シウムは白くて硬い骨のような存在だった。
「おまえの酸の力で、この地を崩そうとしているのか?」
「ちがうよ!僕は誰かを壊したくて旅をしてるんじゃない。ただ……この世界を守りたいんだ」
カリ・シウムは、砂嵐を巻き起こしながらも、その言葉に耳をかたむけた。そして、かすかに首を縦に振った。
「おまえには“溶かす”だけじゃない、“つなぐ”力があるのかもしれないな」
仲間が増えるたびに、クエンの胸の中に、小さな勇気の灯がともっていった。
そしてついに、彼は「サビの迷宮」へとたどり着いた。そこには、ルス・ティンのうなり声がこだましていた。巨大な鉄の腕がクエンをつかもうと襲いかかる。
「うわぁあああっ!!」
クエンは恐怖にふるえた。でも、心の奥に浮かんだのは、仲間の顔だった。バソ・ダンの泡、カリ・シウムの白い砂、アテナのやさしい眼差し……。
「僕は……僕は、“酸っぱいだけ”じゃない!!」
クエンは全身をかがやかせ、全力でルス・ティンの胸に飛び込んだ。酸の力が、鉄を少しずつ溶かしていく。そのたびに、怪物のうなり声が弱まっていった。
「おまえのような小さな存在に……なぜ……!」
「小さいからって、できないわけじゃない。僕は……諦めないって決めたんだ!!」
そして、ルス・ティンは崩れ落ちた。迷宮に光が差し込み、腐りかけた世界に新たな命が芽吹いていった。
神々はクエンに称号を贈った。「さび落としの勇者」。けれどクエンは笑ってこう言った。
「僕なんかより……仲間たちに、ありがとうを言いたいな」
そしてレモニアへ帰った彼は、誰よりも誇らしげにこうつぶやいた。
「大事なのは、すこしずつでも前に進むこと。それだけで世界は変わるんだ」